伝えたい「蔵」の記憶(466)昭和46年末広町の記憶
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2024.1.22
末広町は、昭和7年の字地番改正により当時西幣舞と呼ばれていた町の一部に命名された町名です。末広町南半分は、旗亭、カフェが軒を並べたほか、「劇場2、活動(写真)1あり」と釧路郷土史考が記述しており、ライオン本店、キャピタル本店、八千代寿司やエビス座、オペラ館など連なる、市民が憩う繁華街でした。しかし、昭和20年7月の釧路空襲により焼土となります。戦後の末広町は焼土からの復興に挑戦し道東の中核都市釧路にふさわしい繁華街に発展します。
昭和46年の末広町は、映画館が釧路劇場、ミラノ座、釧路映劇、スバル座の4館を数え、ショッピングを楽しむ丸三鶴屋新館、オリエンタルデパート、そうごデパートなどが開店して華やかな街並が見られます。飲食店街は、キャバレーニュー東宝、銀の目、チャイナタウンなどのほか、料亭喜水、食事処の八宝園、銀水、八千代本店と、女性が楽しむ喫茶店の笛園、モカ、ポルカ、クロンボに、パチンコの末広、日活、マルイチなども見られました。

写真は、昭和46年8月20日の釧路新聞に掲載されたキャバレーニュー東宝の広告です。「知床旅情」が大ヒットし、大人気の加藤登紀子の特別出演を宣伝広告しています。負けじとキャバレー銀の目も、同8月16日の釧路新聞にお盆特別公演として「和田弘とマヒナスターズ」の公演を宣伝しています。当時のキャバレーは人気歌手の出演が相次いでいました。
当時の末広町は、ショッピングと食事を楽しむ人たちと夜の飲食を楽しむ人たちで熱気に溢れ、多くの市民が憩う繁華街の記憶を伝えています。




