伝えたい「蔵」の記憶(425)栄町栄寿司
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2022.8.15
栄町は、地理的に末広に準ずべき地勢でありながら、現在は劣勢だが、その命名理由は「市の発展に伴い向上すべき運命を有し前途大いに有望なるに鑑み栄町と命名」と釧路郷土史考に記述されています。
戦後復興期の昭和28年頃の栄町は、2丁目に谷藤病院、3丁目に高橋鉄工場、4丁目に武田畳店と繁華街の兆しが感じられない住宅街でした。しかし、同40年頃になると、住宅街の面影を僅かに残しながらも、2丁目の料理店登喜和、3丁目のろばた、おでんの王将、4丁目の灘万食堂など小さな飲食店が軒を連ねて川上町まで飲食店街が延び、勢いを感じさせています。

写真は、昭和30年代後半の栄町3丁目の飲食店が密集した栄楽街の一郭で、みさこ美容院、章月、バーめぐみ、栄寿司、バーラムール、中華料理の雅叙園の看板が見えます。舗装されていない道路、玄関口の石炭小屋、ゴミ箱が当時の歓楽街の様子を伝えています。
昭和40年頃の住宅地図を見ると、細い路地で結ばれた小さな飲食店が40軒以上も集中している栄楽街の賑わいは、末広町と比べて庶民的で、親しみやすい雰囲気の飲食店街でした。この中で、3丁目の栄寿司は、トリス、ニッカ、オーシャンの安直なバーが軒を連ねる新興の飲食店街の栄町を、そのまま屋号にしたのか定かではありませんが、玄関を開けると狭い店内に寿司の香りが漂い、店主の鳴海さんの握る寿司を楽しむ笑顔が溢れ、サラリーマンの憩いの場でした。
キャバレーや料亭が華やかさを競う末広町に隣接した新興の歓楽街の賑いの記憶を伝えています。




