伝えたい「蔵」の記憶(424)キャバレーニュー東宝
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2022.8.1
戦前のネオン輝く繁華街末広町は、幣舞橋南の橋南新地と豪華を競い、「サービスをする女給群40人の『街の酒場』―連続演奏自動蓄音機よりメロデーが流れるカフエー『ツバサ』、上品華美の『赤玉』などが艶麗を看板して賑わう繁華街です」と昭和12年発行の釧路観光案内が紹介しています。
しかし、昭和20年6月の釧路空襲に被災し、戦後復興に挑戦します。復興期の同28年頃の末広町の繁華街は、喜水、静などの料亭と小料理屋、戦前のカフエーに変るニュー東宝、上海などのキャバレーやバーが軒を連ねる活気あふれる繁華街となります。キャバレーは、ダンスが出来る舞台を備え、歌やバンドの生演奏などのショーが繰り広げられる戦後の飲食店です。

写真は、戦後復興期の昭和27年に末広町5丁目に開業した同40年頃のキャバレーニュー東宝です。同28年頃の末広町5丁目のニュー東宝付近は、クラブ上海、八千代分店、トキワグリルなどの飲食店の他に遠藤履物店、森永釧路出張所、隣りの栄町は市立保育園や住宅などが並び市民生活が感じられる歓楽街でした。
昭和40年頃のキャバレーニュー東宝の周辺は、小さなキャバレーアカネやバーが密集し、遊技場のグランドホール、娯楽センターも見られました。末広町の本格的なキャバレーは、ニュー東宝だけでなく銀の目、チャイナタウンが華やかさを競い、若者に人気のシャンデリーも出現します。
キャバレーニュー東宝は、戦後の繁華街末広町の記憶を受け継ぎ、水揚げ日本一の昭和45年頃にはサロン東宝と月世界を併設して華やかさを増していきます。




