その他 蔵の記憶
公開:2026/03/15 更新:2026/04/27

伝えたい「蔵」の記憶(423)料亭喜水

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2022.7.18

 繁華街・末広町は、苦難の戦後復興期の市民生活に潤いを与え、復興の活力となりました。昭和28年頃の住宅地図を見ますと、映画館を中心として、食事処の他、キャバレー、クラブ、バー、小料理店など多くの飲食店が軒を連ねていますが、戦前の名残を留める日本料理を提供する和風建築の料亭喜久水、静、喜水が異彩を放っていました。しかし、同45年頃には喜水一軒となりました。

料亭喜水

 写真は、同45年頃の末広町3丁目、和風建築の料亭喜水です。瓦屋根、白壁、大きな樹木の見える、情緒ある佇まいは、映画館の映劇や女性に人気の笛園、新築された八まき・八寶園が並ぶ街並みの中で、異様に映えています。

 ちなみに戦前の末広町の花柳界について、釧路の花街は伝統の橋南、新進の意気に燃ゆる橋北に分かれていきました。新発展地の橋北には、料理店ライオン、千鳥、正宗などがあり、「橋北見番に藝妓62名が居りまして橋南と競っている」と釧路観光案内(釧路商工会議所昭和12年発行)が繁華街・末広町を紹介しています。

 料亭喜水は、昭和11年「花の家」としてのれんを掲げますが、同20年7月の釧路空襲で被災をします。焼土の中で再建に取り組み、同25年には末広町3丁目に戦前の活況の記憶を伝える「喜水」を開業します。料亭喜水の顧客へのおもてなしは、「数寄屋造り部屋、竹をあしらった竹の部屋、海の幸を焼くと直ぐに食べられる炉端風の部屋などに工夫を凝らしていた」と釧路新聞発行の釧路百年が記述しています。

 料亭喜水は、戦前の記憶を伝える料亭として歓楽街末広町の一層の賑わいに貢献します。

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