伝えたい「蔵」の記憶(359)丸ト北村の商魂
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2020.11.30
丸ト北村の明治40年は、釧路始まって以来の鰊の大漁であった、それに煽られて景気が上向き、店の売上も伸びてきたことが「七十年の歩み」に記述されています。店舗の狭さを感じ、魚の干場として売りに出ていた北大通りの土地(3丁目西側)を購入し、間口五間、奥行十三間の店舗を新築し、丸ト北村の基礎ができます。
明治40年の釧路町(現釧路市)は、町勢も興隆の機運が高まり戸数3546戸、人口1万6312人を記録します。同年釧路旭川間の鉄道開通、同42年2代目幣舞橋架橋、釧路港修築案・帝国議会通過と海陸の交通の結節点の役割を担い東北海道の交通運輸の拠点として発展。同45年は、戸数5749戸、人口2万7662人を記録し勢いを感じさせます。
この中で順調な商いを続けた丸ト北村ですが、大正2年12月26日に発生した西幣舞の大火により店舗を焼失します。しかし、北村藤吉さんの奮闘により苦難を乗り越えてト北村呉服店は、同5年11月創業10周年を迎えます。写真は、釧路新聞に掲載された十周年記念大売出の広告です、隣に丸三呉服店の広告が並んでいます。

北村藤吉さんの堅実さと誠実が信用となり順調な経営が続き、大火に備え土蔵の建築にも取り掛かり完成目前の大正7年12月25日、再び発生した西幣舞の大火により類焼します。しかし完成一歩前の土蔵の商品は助かり、焦土の仮小屋で商売を再開します。
西幣舞は大正8年1月3日にも9番地から出火し491戸を焼失する大火が発生します。
北村藤吉さんは、「店舗の焼失の打撃に反発する様に「闘志が湧き、商魂と商才が閃くようであつた」と七十年の歩みに記述しています。




