伝えたい「蔵」の記憶(360)丸ト北村薄利多売
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2020.12.7
大正9年は、第1次世界大戦景気の反動による戦後恐慌により綿糸、生糸相場が暴落し繊維業界は混乱した。「丸太土田、マルヤ中川、マルイ江縫などの釧路の老舗が相次いで倒産し丸三と丸トなどが残った」と当時の厳しい商況を丸ト北村の「七十年の歩み」が伝えています。

写真は、危機を乗り越えた大正10年頃の丸ト北村呉服店の土蔵造りの店舗と創業者北村藤吉さんです。ミツワ足袋の大きな看板、丸トを染め抜いた暖簾に、前掛け姿の男子店員が並ぶ繁盛店です。
北村藤吉さんは、繊維相場の暴落に迅速に対処するために函館、東京で正確な情報収集に努め相場の変動に臨機応変に対処します。3円、5円の福袋の販売、原価8円の商品を5円で販売する思い切った出血販売も繰り出し、「丸トは安い」と評判になり北村藤吉さんの商才が発揮されます。
繊維相場の暴落を乗り越えて丸トの基礎はいよいよ強固になり、営業成績は昭和の始めまで好調に推移します。昭和2年金融恐慌により日本中が深刻な不況となりますが、「薄利多売」の売出し作戦で不況をきり抜けます。同3年に釧路では初めての試みであった、「薄利多売・お客様サービス」と銘打った秘策の移動販売を公会堂(現まなぼっと駐車場)で開催するなど、果敢な商戦を繰り広げて好評を博します。
丸ト北村呉服店は、大正2年と7年の西幣舞大火に被災も北村藤吉さんの商魂と商才により乗り越え、同9年の戦後恐慌、昭和2年の金融恐慌でも臨機応変な商戦を実践し丸ト北村呉服店の盛況を支えます。




