伝えたい「蔵」の記憶(358)丸ト北村創業
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2020.11.23
北大通りは、昭和7年の字地番改正以前は西幣舞と呼ばれ、明治34年の釧路停車場(現釧路市交流プラザさいわい)の開設により鉄道の街として、当時の橋南地区の中心市街地真砂町などを結ぶ通りとして急速な発展を遂げます。
丸ト北村の創業者北村藤吉さんは、鉄道開通から5年後の明治39年に西幣舞1番地(現北大通2丁目西側)に開業します。この年の釧路は、鉄道が帯広まで開通して十勝の雑穀類が駅構内に溢れ、さらに水産、木材景気で活況を呈していました。「商売にすこぶる有望」と丸三鶴屋の創業者両角栄治が追憶五十年に記述しており、その後北大通り商店街の発展を支えた丸三鶴屋は橋南の真砂町で創業します。

写真は、昭和51年に創業七十年を迎えた、丸ト北村の歩みを伝える小史です。これによりますと、北村藤吉さんは、滋賀県坂田郡坂田村字賀野に生まれ、21歳の時に故郷を後にして函館の呉服問屋小野商店に奉公します。将来の独立開業を目標にコツコツと貯蓄し、しばしば出張で訪れた釧路の発展の可能性を確信し、「独立するならば釧路」と決めていました。
明治39年9月、北村藤吉夫婦は函館から船で釧路へ来ます。藤吉さんは、先ず古着商を始め、それによって得た資金と11年間函館で貯めた金を使って、西幣舞1番地(現北大通2丁目西側)に1戸を借りて店を開き、「来店客を一人も逃がさず買ってもらう様努力しよう」と決意し、商いを始めます。




