HEAT VOICEミュージックヒストリー⑭震災1年のヒートボイス
2011年3月11日の大地震、大津波を端緒とし、東北地方を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災の影響は、幸いにも釧路では限定的なものだった。夏までに市民生活は落ち着きを取り戻し、地元でのイベントも各地で行われた。
釧路を拠点とするボーカルデュオのヒートボイス(目黒広幸、伊藤カズヒロ)への出演依頼も時間の経過とともに増えてきた。
ヒートボイスのライブミュージシャンとしての強みは、ギターさえあればどんなステージにも立てること。最小限の音響機器で、毎年恒例のイベントからチャリティーイベントまで幅広くこなせる。
港in白糠大漁まつり(6月26日、白糠漁港)、喫茶えいが館開店30周年記念祝賀会(7月30日、アクア・ベール)、B級グルメの祭典inくしろ幣舞(8月20~21日、幣舞河畔広場)、国際ソロプチミスト釧路主催チャリティーディナーの夕べ(11月14日、釧路プリンスホテル)などに出演した。

ライフワークというべき学校訪問も、年度初めに組み込んでいた順番で推移する。
特に、伊藤さんの出身校である釧路市立春採中学校で11月18日に行われた、開校60周年記念講演会&コンサートは自然と力が入った。
昭和62年(1987年)の卒業以来という、24年ぶりの給食を胃袋に入れて、いざ出陣。中学校時代の思い出から音楽を通じた挑戦まで、大いに語った。締めくくりは校歌斉唱だった。
「生徒会から感謝の言葉をいただいた際、後輩たちの前でここで泣くわけにはいかないと、涙をこらえた」。
震災の年の母校凱旋。忘れられない。
それぞれの挑戦が実を結ぶ
2人それぞれが震災前から準備を進めてきた企画も、計画を変更したり、中断することなく実施した。
目黒さんは10月1日、アクア・ベールで音楽活動30周年記念イベント「超熱風あらかるとLIVE!!」を敢行した。
伊藤さんはもちろん、ヒートボイス結成前から釧路の音楽を一緒に盛り上げてきた顔ぶれが次々と登場した。
1980年代に所属していた音楽党、GeroGero&Ajapa(ゲロゲロ アンド アジャパ)のオリジナルソングをはじめ、目黒さんの生き様の原点というべき初期のチャゲ&飛鳥の名曲の数々を、バックバンドを従えて歌い上げた。
目黒さんは「バックバンド『大火魔人』は初期のチャゲ&飛鳥バックバンド『火魔神』にあやかって、この日のために地元のミュージシャンが用意してくれた。みんな大事な仲間ばかり」と懐かしんだ。

伊藤さんは7月25日、初のソロミニアルバム「寂光(じゃっこう)」を発表。
2009年の新人歌手発掘オーディション「MUSIC BURGER(ミュージックバーガー)」での本選進出が縁で、大手レコード会社エイベックスの作曲家候補となってから、わずか2年でリリースが実現した。
「寂光」には同オーディションで出品した「snow..」と、ポップスデュオ「カズン」の漆戸啓さんのプロデュースによる「夏の風よ」と「睡蓮」の3曲を収録した。
伊藤さんは「漆戸さんとは2010年1月、コンサートで来釧した際、楽屋であいさつ。福司ケーキを持参しました。その後、旧知の間柄だった東京の森有生さん(モリング代表取締役)が掛け合い、音楽プロデューサーとしての参加が実現しました。たくさんの曲を作っていた時期だったので、評価されてうれしかったのをよく覚えています」と振り返った。

震災で得た学び、その先へ
東日本大震災は、図らずも、ヒートボイスに多くの学びと実践の機会を与えた。
ライブがしにくい状況下での音楽活動、地方都市だからこそできる音楽活動、さらに全国のミュージシャンとつながる音楽活動など。数年後、国内のみならず世界が震撼する事態で、真価を発揮する。
(編集部:山本雅之)
次回は11月10日に掲載の予定です



