伝えたい「蔵」の記憶(482)カーフェリー「まりも」
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2025.6.2
昭和47年4月6日、海の新幹線と言われる、東京と釧路を30時間で結ぶ、近海郵船のカーフェリー「まりも」(9200㌧)が就航します。フェリーの歴史は、渡し船、連絡船と言う意味ですが、陸を走っている自動車を積むようになり、カーフェリーという呼び方で旅客船と区別されています。昭和25年に関門海峡に、日本で最初のカーフェリーが就航しますが、その後の国内経済の活況と物流の革新により急速にカーフェリーの就航が増加します。

写真は、昭和47年4月6日の釧路新聞に掲載された「道東に新しい夜明」「海の動脈東京へ一直線」と謳う、カーフェリー「まりも処女航海」の広告です。「まりも」の就航は、西港の建設、釧路空港の整備を推進している釧路市にとって、道東の中核都市機能を高め首都圏との交流を促進する新しい夢が広がります。
カーフェリー「まりも」は、全長166㍍、旅客835名と8㌧トラック100台、乗用車100台を収納します。1等洋室と和室、2等客室と大浴場「まりも湯」、レストラン、カードルームを備えて釧路市民を感動させます。航路は、午後1時釧路港を出港して午後5時頃襟裳岬を見ながらレストランで食事、翌日午前5時金華山沖を経て午後7時東京着と乗船者に楽しい旅の夢を与えます。
カーフェリーまりもは、私が小学生の頃、戦後混乱期の昭和25年4月に釧路と東京間に就航し北埠頭に接岸していた貨客船雲仙丸(3140㌧)を見た感激の記憶を蘇らせました。豊かな道東の自然と産物の魅力を首都圏へ発信し、活発な人の交流が始まり、夢が広がる躍進釧路の記憶を伝えています。




