その他 蔵の記憶
公開:2026/03/13 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(361)丸ト二代目藤兵衛

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2020.12.21

 昭和2年の金融恐慌を薄利多売で乗り切った丸ト北村呉服店は、二代目藤兵衛さんが25歳の時、創業者北村藤吉さんが経営の第一線から退きますが、藤吉さんは、「信用は一代限り相続は出来ない」と藤兵衛さんへ伝え、奮闘を促したと丸ト七十年の歩みに記述しています。

 藤兵衛さんが先代の後を受け継いだ昭和初期は、全国的な不況時代。西幣舞商店街(現北通り商店街)も変革の時代を迎えています。昭和3年に四代目幣舞橋が完成し平和市場も開設され、同5年には丸三鶴屋デパート開店と厳しい商いの競争が始まります。

丸ト大特売会の広告

 写真は、昭和3年10月20日の釧路新聞に掲載されたト大特売会の広告です。薄利多売と顧客サービスを謳う主婦の友推奨京美染着尺陳列・総合衣裳展と題し、店内が狭いので公会堂を会場に開催され一万円の大懸賞付特売会です。特売会は、釧路で初めての試み。藤兵衛さんが企画した催事で、これが大当たり。好評を博し、さらに昼食サービス、貸し切りバス運行、モデル招へい、など多彩な企画を実施し同10年頃までトの年中行事になります。

 藤兵衛さんの斬新的な企画は、「業績を向上させ、商店街へ刺激を与えた」と丸ト七十年の歩みに書かれています。

 しかし、昭和12年7月支那事変勃発以降の戦時体制下の国民生活は、消費抑制諸策が実施され同17年に衣料品切符制度が実施され配給制度が始まります。藤兵衛さんは、配給制度の実施によって商売に独特の企画は困難と考え、店舗を部隊兵站に提供し商売をやめ釧路信用職員へ転業します。

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