その他 蔵の記憶
公開:2026/03/12 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(334)北大通り3丁目東側商店街

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2020.4.27

 昭和初期の釧路の中心商店街は、橋南の真砂町から橋北の西幣舞(現北大通り)へ移り、昭和3年完成の4代目幣舞橋架橋により橋南地区と橋北地区の交流が活発となります。その後、当時では先進的な商業施設の平和市場が北大通り3丁目東側(元釧路デパート)に、百貨店丸三鶴屋が北大通り5丁目東側に開業したため賑わいが急速に北大通りへ移ります。

昭和35年頃の平和市場(中央右側)

 写真は、増築工事中の丸三鶴屋(中央奥)と昭和33年完成の丸勝ビルに並んで戦後混乱期を逞しく乗り越えた平和市場。同35年頃です。

 平和市場は、世界大恐慌により日本が不況に苦しんでいた昭和4年6月に、組合員9人と店子(たなこ)32軒で開店します。市場には、肉屋、お菓子屋、土産店、食堂、衣料品店、左官屋、金物店など、いろいろな商店が並び、不況に苦しむ市民に大好評を博します。平和市場の盛況に刺激されて真砂町、駅前、浦見町などにも市場が開設されます。

 市民の台所として市民生活を支えますが、その後、物不足の戦時統制、釧路空襲により店舗を焼失し苦難が続き終戦を迎えます。戦後混乱期の昭和21年8月、平和市場は焼跡に仮店舗で再出発します。魚、野菜、惣菜、衣料品などの生活物資が不足し混乱する市民生活を支える平和市場再建の活力は、市民生活に元気を与え北大通り商店街の賑わいを取り戻します。

 平和市場は、創業時の世界恐慌、戦後混乱期の再建と厳しい景況に挑戦し市民生活を支えた記憶です。昭和39年には協同組合くしろデパートとして鉄筋7階建の近代的な店舗になり次代へと挑戦を続けます。

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