伝えたい「蔵」の記憶(297)丸三鶴屋五十年小史 野付牛支店
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2019.6.17
両角呉服店は、明治39年10月に真砂町五十八番地に開業して「絶対薄利と現金主義」を実践して奮闘し、顧客に歓迎されて営業基盤を確実にします。
開業から僅か4年の明治43年9月に北見の中心地の野付牛(現北見市)へ支店を開設します。野付牛支店開設の理由については、「釧路地方は海産物が豊富であるが、濃霧で農業は見込みが無いが北見は気候が温暖で農業に適して有望である、海の釧路と陸の北見に地盤を築く事は商勢の拡大の良策と信じた。当時の北見との交通は、鉄道も無く釧路からの輸送は海路網走に揚げて荷物を送った」と、「追憶五十年」で両角栄治さんが語っています。

其の後、鉄道の開通により野付牛は農業の中心の街として躍進して野付牛支店は順調発展をし、昭和3年には新店舗を落成して営業形態を百貨店方式に変更します。写真は、特大の看板と丸三の屋号が見えるモダンな3階建ての支店です。
振り返って明治39年両角呉服店開業、同43年野付牛支店開設、同44年本店新築、大正2年西幣舞支店開設、と創業から短期間で商勢の拡大を実践します。両角呉服店の躍進は、「薄利誠実」を経営理念とした創業者両角栄治さんの情報収集と市場分析能力、決断の速さと郷里から創業に参加した信頼できる店員に因ります。
商勢を拡大した大正時代は、第一次世界大戦の影響を受け物価の高騰と暴落により釧路の老舗は倒産が続出しますが、「昭和に至る間店業順調」と苦難を乗り越えた慶びを丸三鶴屋五十年小史に記述しています。




