その他 蔵の記憶
公開:2026/03/04 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(92)南橋詰

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2014.8.4

 4代目幣舞橋の架橋の当初の設計では、中央部分を鉄橋とし両端を木橋で繋ぐ予定でしたが、設計変更により鉄橋から両岸までを、橋の付近を浚渫(しゅんせつ)した土砂を利用して埋立て、取りつけ道路としました。幅の広い取りつけ道路の誕生は、それまでの川岸の街の様子を一変させました。

昭和初期の幣舞橋南橋詰の新設された取りつけ道路の様子

 写真は、昭和初期の幣舞橋南橋詰の新設された取りつけ道路の様子です。取りつけ道路が完成する以前の街並みは、釧路川の川岸まで人家が連なっていましたが、取りつけ道路の完成により橋詰には広い広場が出来たような感じです。幅広い取りつけ道路には、自慢の親柱、最新の交通機関の乗合バス、自転車、歩行者の姿が見えます。

 昭和初期の乗物は、まだ人力車、運送は馬車の時代ですが、取りつけ道路を走る乗合バスを見ますと、自動車の時代の兆しを感じます。釧路の乗物の歩みを見ますと、明治39年に佐々木与兵衛が自転車に乗る、大正9年にハイヤーのサスガ自動車創立、大正14年に乗合自動車の釧路乗合自動車創立が記録されています。

 鉄橋の幣舞橋の設計変更と取りつけ道路の完成は、釧路の中心市街の真砂町、幣舞町と橋北の西幣舞交流を深め、その後の交通量の増加と自動車時代の到来を予測し、次代の釧路発展へ夢を託した先人の決断の記憶です。取りつけ道路が設置された付近の幣舞橋南橋詰の現在は、釧路経済の中核を担う道東経済センタービル、道東交通の要の国道38号へ繋がる5本の道路を結ぶロータリーが設置されています。

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