伝えたい「蔵」の記憶(296)丸三鶴屋五十年小史 西幣舞支店
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2019.6.3
丸三両角呉服店は、明治44年本店を移転新築して店業の基礎を充実し、業界と顧客からの信頼が一層増して営業成績を好転させています。明治42年のニシン漁開始以来の豊漁と奥地開拓による木材産業の活況により明治40年代の釧路町は、好景気が続き街並が徐々に西幣舞へ拡がりを見せます。
丸三両角呉服店は、大正2年3月釧路町大字西幣舞11番地(現北大通り5丁目西側)へ西幣舞支店を開設し商勢の拡大を実行します。しかし、翌年大正3年の大火により支店が焼失し再建という厳しい状況から西幣舞支店が新たに出発します。

写真は、丸三大売り出しの旗と福助足袋の宣伝の大きな看板を揚げた丸三両角呉服店西幣舞支店ですが、福助足袋の看板の大きさに商売の戦略を感じさせます。西幣舞への支店設置は、道東地域の殖産興業の新興と北辺警備を目的にした大正3年7月の根室線着工と釧路停車場の移転を予想して、両角栄治さんは、「西幣舞方面は漸く発展の兆あり」と街並が橋南から橋北へ北進する見通しを五十年小史に記述しています。
大正3年6月第一次世界大戦に端を発した大正時代の景況は、同7年11月の休戦に至るまでの間、未曾有の好景気が到来しますが、同4年物価暴騰に続き、同9年株価暴落と綿糸、生糸相場大幅な下落による戦後恐慌と呼ばれる不況に襲われます。
両角栄治さんは、「未曾有の大波乱を我各店は乗り切り、良好な成績を得たことは幸だった」と、危機を追憶五十年で回顧しています。




