その他 蔵の記憶
公開:2026/03/07 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(181)南北検番

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2016.8.22

 昭和7年は、市制10周年記念事業として字地番改正が実施され、新興の西幣舞が釧路の中心市街地として認識され、歴史ある中心市街地真砂町の衰退傾向が伝えられています。同年4月17日の釧路新聞に「歴史を誇る橋南花柳界新興の橋北に押される」の記事が掲載されました。

料理店「ライオン」

 写真は、現在の末広町4丁目で戦前の橋北の歓楽街の繁栄を支えた「ライオン」です、日本料理、洋食、支那料理何でも可の料理店で、屋外にサッポロビールの看板を挙げ繁華街末広のシンボルです。

 釧路の花柳界は、橋南、橋北の二つに分かれ、古くより由緒ある橋南には釧路検番を中心として希望楼、老松、八ッ波、鹿島屋などで一街を成しています。橋北は幣舞橋より北に新進の発展地に橋北検番がありライオン、千鳥、恵比寿屋、珍屋などが軒を並べ、南北検番が競っています。

 昭和7年3月末の芸子数は、橋南34名橋北54名を擁しています。橋北は「村だ村だ」と云はれ或いは十把一束だと悪く云はれた事もあるが、今や断然20名も多いから大したものだ」と、橋北の躍進を釧路新聞は報道しています。

 市役所では、線香代を基準にして芸子置屋税を課しているため、南北検番の売り上げ動向を把握しています。統計を見ますと、昭和4年度においては断然橋南が多く橋北は半分にも満たない状況でしたが、昭和7年度においては橋南が橋北に及ばない状況です。

 釧路市の繁栄の中心が真砂町から西幣舞に移動したように花柳界も橋南から新興の橋北へ移動をしたようです。

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