伝えたい「蔵」の記憶(202)ポンポン屋
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2017.3.6
昭和16年7月8日支那事変4周年記念市民大会が、日進小学校の校庭に1万5000名の市民が集合し午前5時30分に開催され、「朝霧に誓う愛国の至誠」と愛国心の高揚を誓った記事が釧路新聞に掲載されています。同7月の新聞を見ると、「米国の参戦とその後の世界を語る」など時局を反映した言葉が見られますが、7月15日から厳島神社の祭礼が開催します。祭礼は、自粛模様の装飾ですが、「ジンタの音に満街浮立つ祭り気分」と新聞が報道しています。

写真は、祭礼の御輿の巡行に参加した北大通り商店街の子供たちです。勤王隊の陣羽織に鉢巻きと鉄兜姿で木刀を持ち勇ましい雰囲気が感じられます。写真中央の男性は、子供の勤王隊の世話役の内田丈太郎さんです。
内田丈太郎さんは、釧路の名物男の一人である。変な意味はなく、誠に愛嬌のある善良な変り者の一人として、古い釧路人の間には有名だ。(昭和35年釧路新聞ボクの釧路地図より)職業は、ポンポン屋と呼ばれる毛判を造る職人さんです。ポンポン屋は、昭和7年発行の市内案内図の北大通り5丁目西側に見られますが、看板は毛判製造所です。毛判、別名ポンポンは、馬の毛で造り木材やカマスに屋号、記号を表示する為毛判に墨を染み込ませ藁工品の表面を叩き印刷する道具です。馬産地釧路、木処釧路、雑穀積出港釧路は、毛判の製造と活用の条件が揃い釧路発展に貢献します。
内田丈太郎さんは、釧路におけるポンポン屋の元祖であり最後の職人さんで、ポンポン屋は、北大通り商店街に気持ち良い記憶を伝えています。




