伝えたい「蔵」の記憶(201)昭和16年の北大通り
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2017.2.17
昭和15年11月に紀元2600年記念式典が挙行され、昭和16年の新年を迎えます。新春の北大通り商店街の様子を「商店街は人の波、無聲版お正月もなんのその」と同年1月5日の釧路新聞が報道しています。戦時の経済統制が厳しくなり、年始売出し廃止、営業自粛、休業の店舗が見られる北大通り商店街で正月の初売りを楽しむ市民の様子を伝えています。

写真は、北大通り東側の街並みの絵葉書です。昭和16年3月3日検閲済大湊要港部と明記され、海軍の検閲済は戦時の深刻さを伝えています。
写真を見ると、北大通り6丁目は、白川小間物店、大谷時計店、昭和12年建築のドーム型の屋根の菓子店千秋庵が並び、5丁目に金物の老舗トンガリ屋根の小松金物店、紙と茶の老舗中山茶紙店、市民自慢の百貨店丸三鶴屋が並ぶ近代的な街並みを「炎熱路面を焼く夏の日、街路樹涼風を呼して緑陰人を癒す」と戦時の釧路の中心地市街地を紹介しています。しかし、昭和15年4月生活必需物資統制令が公布され、商店が自由に販売する商品少なく商店経営が難しい時代を迎えています。
昭和16年7月8日開催の支那事変4周年記念市民大会で「白系露人の奥さん」が、君が代を歌い、天皇陛下バンザイともろ手を挙げる光景は異色だったと釧路新聞が報道しています。昭和11年の市内案内図に、ベロノコフ、ブオルガ、ハルピンと白系露人経営の洋品店が北大通りに在り、革命を逃れた白系露人も苦難の北大通り商店街を支えています。
厳しい戦況を迎えようとしている北大通りの記憶です。




