その他 蔵の記憶
公開:2026/03/10 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(294)丸三越後屋開店

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2019.5.20

 明治34年7月20日、白糠間に鉄道が開通した釧路は、港と鉄道、釧路川が結ばれて東北海道の人の交流と物資の集散機能を果たし成長する活気溢れる街でした。急成長の様子を人口動態で見ますと、釧路に町制が施行された明治33年の人口は1万309人ですが、同39年1万4746人、同44年2万4756人と急増します。

 明治39年10月3日賑わう釧路町大字真砂町58番地(現南大通り7丁目)に両角栄治が丸三越後屋と称し呉服、綿布、洋反、雑貨の卸小売業を開始します、後の丸三鶴屋の開店です。

「開店売出し御披露」開店広告

 写真は、釧路新聞に掲載された「開店売出し御披露」と謳った開店広告です。売出し期間は10月3日から5日迄の3日間、当日粗景呈上。住所は新規開店なので工夫して、釧路真砂町曲吉旅館隣丸三越後屋両角(もろすみ)商店。取り扱う商品は呉服太物、洋小間物卸小売りと記載されています。開業へは、「薄利誠実」をモットーとして店主以下12名、劇しい競争の中に在り「孤軍奮闘克く商運を拓く」と強く決意をしています。

 当時の釧路は、鉄道が帯広に通じ港湾修築が進み、漁業、木材が盛んで商業も活気があり前途有望で、しかも物価が高く、割り込む余地ありと認め、釧路へ出店を決めた。開店後は、絶対薄利と現金主義で売り出すと市内の競争店とは価格競争で勝りたちまち評判となり浦幌、池田、帯広方面から顧客が来たと「追憶五十年」(両角栄治著)に記述しています。

 札幌今井呉服店で在店18年を経験した開業は、力強く旧慣打破し薄利誠実を実践しています。

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