その他 蔵の記憶
公開:2026/03/05 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(124)大正末の西幣舞大通

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2015.4.20

 大正初期の釧路は、釧路駅が大正6年に現在地に移転し、中心市街地が徐々に西幣舞へ移動します。釧路川右岸の西幣舞の発展の様子を釧路市史に掲載された電話帳で見ますと、明治42年の加入者は西幣舞65、真砂町111です、大正5年は、西幣舞139、真砂町131と当時の中心市街地真砂町より多くなり西幣舞の急速な発展が窺えます。

西幣舞通

 写真は、西幣舞通りと呼ばれた現在の北大通4丁目付近から幣舞橋方面の様子です。幅広い道路沿に店舗が並び、馬車や大八車が行き交う大正末期の北大通です。

 竹西勇二著「此の地に生きる」は、大正初期の西幣舞の街並みの記憶を伝えています。

 大正4年に釧路停車場に降りた西幣舞の印象は、「山形屋旅館の角を曲がると新開地らしいダダ広い通りに出た(現北大通)。荷馬車のワダチが泥んこ道路の真ん中に線を引いた様に一直線に走りその両側に押し潰されたような平屋建ての店が軒を並べた寒々とした通りだが、中心市街地の真砂町は、瓦屋根の商店が軒を並べた賑々しい商店街に目を見張った」と、急速に発展した新開地西幣舞と真砂町を比べています。

 西幣舞の繁華街、現在の北大通4丁目西側には、ト北村呉服店、武藤小間物店、丸山金物、浜野薬店、東側には拓銀出張所、かめや下駄屋、衿裳、野田古着屋、松並家具店、金安時計店、文房具の村上が並び、流石が盛り場であると記述しています。

 釧路の中心市街地は、徐々に橋北地区へ移動しますが大正初期の西幣舞の街並は其の後の北大通繁栄の記憶を残しています。

 「此の地に生きる」は、黎明期の釧路で奮闘する先人の記憶を伝えています。

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