その他 蔵の記憶
公開:2026/03/05 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(125)西幣舞の倉庫

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2015.4.27

 大正初期の釧路は、大正3年に始まった第一次世界大戦景気により釧路経済界は活況を呈し、人口の急増と市街地拡大が続きます。

 釧路川右岸の西幣舞は、延伸した鉄道により木材、雑穀が釧路停車場に輸送され、釧路港より移輸出をします。釧路停車場の周囲には、海陸運送業、回漕業、倉庫業が並ぶ道東の集散基地の街でした。

西幣舞の街並み

 写真は、大正6年頃の集散基地西幣舞の街並みです。右手前3棟並んでいる倉庫は、菱形にNの屋号が見えるレンガ造りの中川倉庫で、現在も使用されています。釧路川右岸沿いには、貨物の船積の為に鉄道引き込み線、艀用桟橋が設置され、力強い船積み作業が行われています。

 中央斜めに延びている道路は現在の国道38号線です。左側が釧路停車場ですが、根室線開通により大正6年12月に停車場が現在地に移り貨物専用駅の浜釧路駅になります。右側に並ぶ倉庫には、大戦景気により農産物が高騰して「豆成金」が誕生した十勝のインゲン豆、エンドウ豆など雑穀が保管され、世界市場へ輸出されています。

 当時の雑穀活況を体験した古老の記憶を寿小学校の記念誌が紹介しています。「秋には、十勝の雑穀がたくさん豆選り工場に入荷し工場では女の人が働き、私も豆の粕を干しを手伝って1円30銭の出面賃をもらい、秋の修学旅行のために貯金をしました」。小学生の手を借りるほど街全体が十勝の豆で活況を呈していたようです。

 西幣舞の釧路停車場、レンガ倉庫と釧路川右岸の荷役作業などの逞しい街並みの記憶は今も受け継がれています。

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