伝えたい「蔵」の記憶(123)此の地に生きる
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2015.4.13
明治40年代の釧路の様子を釧路市史では、釧路は躍進に躍進を重ね、築港工事の完成の期待をかけながら大正に移行したと記載しています。

写真の竹西勇二著「此の地に生きる」は、大正初期の北大通の街並みと、新天地釧路で商いを始め、岡野絹物店を創業した岡野佐太二さんの記憶を実録として伝えています。
佐太二さんは、石川県石川郡松任町出身で大正4年に来釧します。3代目幣舞橋の北橋詰めの左側、現在の北大通2丁目東側で大正5年「モメンとセル」の商いを始めます。家の側を流れる当時の釧路川の光景は、海の入江のような大きな川で、川の真ん中に葦が生い繁った中州が見える釧路川の異様な光景に驚いています。
扱い商品は、伯父の経営する織物会社で生産された松任特産の木綿縞とセルの販売です。商いの最初は、鳥取士族が拓いた鳥取、開拓者が開墾した遠矢、千代の浦、昆布森などの近郊の農家、漁師の家を訪問する行商です。一反風呂敷で商品を背負い、着物の裾をはし折り、地下足袋を履き知らない土地で誠実な商いを実践します。
顧客の声を聞きながら、晒(さらし)木綿、ネル、小間物など取り扱い商品を増やし、北大通4丁目に念願の店舗を新築しますが、大火による店舗の焼失、経済恐慌などの試練を体験します。困難な時には、誠実と忍耐により苦難に挑戦し、呉服の行商人として道東一円に販路を広げ、昭和4年に北大通8丁目に店舗を新築し岡野絹物店の基礎を築きます。




