その他 蔵の記憶
公開:2026/03/05 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(113)釧路停車場

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2015.1.26

 明治33年5月官設鉄道釧路線が釧路より起工され、同34年7月20日釧路・白糠間が開通します。写真は、荒涼とした原野の中で蒸気を噴き上げる機関車の見える、開業した当時の釧路停車場構内の様子です。

 釧路停車場は、現在の黒金町8丁目のNTT付近に開設され、正面入口は北大通に向っています。

 当時の橋北地区の街並みは、釧路川右岸沿のトンケシ(現浪花町)西幣舞の一部(現錦町、幸町)に漁師の家が並び、北大通9丁目付近に中戸川農場が見られるくらいで人家も疎らで、周囲は葦原が広がる湿原でした。

開業当時の釧路停車場

 先人は、未開の湿原に近代文明の鉄道を敷設し開拓の夢の実現に奮闘します。釧路鉄道管理局史に「なんの因果で釧路にきたかよ、ガスと臭いのと重労働」の都々逸が掲載されています。霧と魚粕の臭いは、当時の橋北の街が魚粕の干場が広がっていた様子を伝えています。

 明治34年アメリカ製機関車2両が海路輸送され、釧路川から陸揚げされました。車体はある程度分解されていたが、重量品の荷揚げ作業から機関庫まで約500㍍の運搬に3日もかかつた(釧路鉄道管理局史)など、機械力の少ない時代の鉄道建設工事の人海戦術による重労働の苦労を伝えています。都々逸は、未開原野釧路の鉄道工事で悪戦苦闘の様子を伝えています。

 先人の苦闘で開通した鉄道は、鉄道沿線の開拓を促進し釧路町民に夢を与えます。

 釧路停車場の開業により、釧路川右岸の湿原に鉄道を中心にした街並みが誕生し、躍進釧路を伝える街並みが記憶されます。

前「鉄道の開通」    次「釧路市街案内図」

TOP