伝えたい「蔵」の記憶(112)鉄道の開通
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2015.1.19
明治30年代初めの釧路は、同33年7月に町制が施行され、橋南の漁村集落から発展した釧路の市街地が橋北へ広がり、新しい時代を迎えようとしています。釧路川右岸の街並みは、同33年の初代幣舞橋の架橋により橋南と橋北の交通が便利となり、同34年7月白糠間の鉄道開通により、橋北に鉄道の街が誕生し、鉄道の拠点として街並みは大きく変わります。
鉄道開通式の様子を「北東日報」が伝えています。「来20日釧路白糠間鉄道開通式挙行に付有志の寄付に依り園遊会開催す」と北東日報に特別広告を掲載しています。「金二円以上の寄付者に招待状を送呈す、入場者は礼服(羽織袴又は洋服)着用すべしもし着用せざる方は入場謝絶」と記載されています。

開通式当日は、「午前7時釧路日進小学校生徒一隊は当日の式に参列せん為校長以下の率いる処となり市中を隊列して定刻式場に整列せり。全町戸ごとに国旗と提灯をかざり、また幕をはりめぐらし、式典付近の広場には旅芸人の小屋がけや露店が並んだ。入港中の船は満艦飾で美観をそなえた」(釧路市史)と、全町民の鉄道開通への期待と喜びの様子を伝えています。
処女列車は、式典に集まった人達を客車2両と無蓋車13両に乗せ16号機関車がけん引して釧路を10時に出発し白糠に12時に到着します。鉄道の開通は、新天地に夢を託した先人の未来に活力と希望を与えています。
鉄道は、「官設鉄道釧路線」と命名され、釧路・帯広間が明治38年10月開通し、釧路の発展を支えます。黒金町は、鉄道の街並みの記憶を伝えています。




