HEAT VOICEミュージックヒストリー⑬震災直後のヒートボイス
2011年3月11日午後2時46分18秒、宮城県牡鹿半島沖でマグニチュード9.0の地震が発生した。
巨大な地震で東日本各地の建物などが倒壊し、大津波の襲来によって東北地方から関東地方の太平洋沿岸の集落が飲み込まれた。
さらに、福島第一原子力発電所の事故も重なった。
東日本大震災は、震災1年後の2012年3月11日時点で、死者1万5854人、行方不明者3155人という多くの犠牲を出した。
今も多くの住民が郷里を離れての生活を余儀なくされている。
地震発生時、釧路を拠点に音楽活動を展開しているヒートボイス(目黒広幸、伊藤カズヒロ)はそれぞれ、釧路市内の別の場所にいた。
目黒さんは「仕事の夜勤明けで自宅にいた。揺れが長かったので、ただごとではないと感じた」。
伊藤さんは顧客との打ち合わせ中で、「大きな地震で、外に出たら地面が液状化していた。その後、テレビを付けたら、たいへんなことになっていた」。
2人ともあの日の記憶は鮮明に残っている。
未曾有の複合災害といえる東日本大震災は、直接、被災していない人々にも暗い影を落とした。
国民全体が非常事態に直面し、社会には自粛ムードが広がり、芸能イベントも軒並み中止となった。
同時に、芸能人や文化人、著名人らによる募金や義援金の寄付、救援物資の輸送などが盛んに行われた。
被災地を訪れる人、それぞれの地元で活動する人、メディアを通じて連帯を呼び掛ける人など、支援の形はさまざまだった。
大津波警報発令中―。
伊藤さんは2009年11月1日から毎日、オフィシャルブログ「うめぼし(UMEBOSHI)」をつづっている。
この一文は、2011年3月11日午後4時35分42秒付の記事のタイトルで、文中では「釧路も、かなり揺れました。未だに余震が続いています。街中にサイレンが鳴り響いて、空はヘリが沢山。皆さん気をつけて行動を!」と記している。
一夜明けた12日以降は、被災者、被災地へのお見舞いと、日本全国への激励のメッセージを書き続けた。
音楽は希望の明かり
ヒートボイスは「音楽は、希望の明かりをつける」と信じ、地域に根ざした音楽活動を続けることを確認した。
3月22日、釧路全日空ホテルでのディナーライブ「釧路ってたのしい街」VOL.4を予定通り実施した。
胆振管内白老町出身の双子デュオ「VOICE(ボイス)」とのツーマンステージには150人超が来場し、ファンと時間の許す限り交流した。

同月26日には、釧路市生涯学習センター大ホールで行われた「アールクシリアンくしろ作曲家コレクションX」に出演し、新作のピアノ曲「そばにいるよ」などを歌った。

春は出会いと別れの季節。
ヒートボイスも結成に関わった釧路こどもバンド「THE’n Kids(ザンギッズ)」が新旧交代した。
1期生のうち、中学校に入学するメンバーが卒業し、オーディションでで選ばれた2期生が新たに加入した。
4月3日には、愛国西のヴェイルドカフェで卒業ライブを開き、堂々としたステージを繰り広げた。
ヒートボイスが提供した「KUJIRA DE KUSHIRO」を、ヒートボイスの伴奏で合唱し、思い出深いライブとなった。

ネット放送で広がる発信
新たな情報発信もスタートした。
FMくしろのインターネット放送が4月1日から始まり、ヒートボイスが月に一度、1時間にわたり、スタジオでトークとライブを繰り広げる番組「リライアブルウィークリーレコメンド・ヒートボイススペシャル」は、収録放送からリアルタイムに切り替わり、オンラインでも聴けるようになった。
インターネットを通じて、周波数76.1㎒を受信できない地域にも、ヒートボイスの音楽を届けられるようになった。
(編集部:山本雅之)
次回は10月30日に掲載の予定です



