伝えたい「蔵」の記憶(456)異彩放つ邸宅とレンガ倉庫
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2023.9.4
釧路川左岸の幣舞橋より上流は、釧路の黎明期から茂尻矢と呼ばれ、釧路川の木材の流送基地や製軸所、製材工場と、その職人の長屋が並び、塘路、標茶など釧路川上流域との交流拠点ともなる街並が釧路川に沿って長く延びていました。
大正15年頃の茂尻矢公園(お供え山)から見た釧路市の5枚組の1枚の絵ハガキの中に、製軸業・運送業で釧路経済界の有力者であった茅野満明の自宅とレンガ倉庫と製軸工場が見えました。茅野満明の自宅は、釧路川沿いに建てられた和洋折衷トタン葺きの大きな邸宅で、自宅裏にレンガ倉庫が一棟。周りの柾屋根の長屋と比べると大きな邸宅とレンガ倉庫が異彩を放っています。

写真は、茅野満明宅裏にあった昭和50年頃の城山町1丁目に残されたレンガ倉庫です。「大正5年に建てた」と北の家図鑑(涌井義美著)が記述しています。
茅野満明がレンガ倉庫を建設した大正5年頃の釧路は、大戦景気により「木処釧路」と呼ばれ、釧路川に木材が溢れる木材のブームを体験します。同9年8月には釧路、十勝地方を襲った豪雨で釧路川、阿寒川が氾濫し、釧路は未曾有の大洪水に見舞われます。木材業界も壊滅的な被害を受けますが、大洪水の後、昭和6年新釧路川の通水と釧網本線全通により釧路川と茂尻矢は、釧路臨港鉄道が整備され、再び木材が積み上げられた土場や製材工場などが見られる、活況の新しい時代を迎えます。
茂尻矢のレンガ倉庫は、木材の流送と軸木工場などの繁栄によって茂尻矢から城山町、材木町、大川町へと発展する新しい街並への変貌を記憶しています。




