伝えたい「蔵」の記憶(395)昭和42年の広告の記憶
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2021.11.1
昭和40年代の釧路は、漁業、石炭、紙パルプの活発な経済活動、北大通都市改造事業の進展、新しい街並みの誕生などにより市民生活に活力と豊かさを実感させると同時に、テレビ普及が市民の娯楽に変化を与えます。

写真は、昭和42年10月6日の釧路新聞に掲載された、映画の斜陽化に挑戦する浅川興行の「浅川シネマ・ビル本日開館」と関係娯楽施設の全面広告です。広告は、賑いを支えた映画の斜陽化による釧路の娯楽施設の変化も伝えています。
東映ボウリングセンターに次いで開設し、「スターと投げよう」と謳う川上町の釧路ボーリングセンター、体力をきたえる黒金町の浅川バッティングセンター、女性がジンフイズを楽しむグランド洋酒喫茶メトロ、旅行者が旅の思い出を語るステーションデパート地下の茶房旅、スッポン料理を味わう末広町の、はか多を紹介。市民生活の娯楽が、映画、パチンコ、飲食主体から多様化への兆しを感じさせます。
昭和40年頃のゴーゴーやアイビールックの流行、ビートルズの来日公演などが市民生活に大きな変化を与え、ミニスカートが流行します。華やかな昭和元禄と呼ばれる消費文化が全国に発信されます。この中で、「浅川シネマ・ビル本日開館」の広告も、華やかな消費文化を伝える映画館の新しい挑戦や、新鮮なスポーツのボウリング、バッティングセンターが登場し、斬新な飲食店の開店などを伝え、活力ある発展を持続する釧路の繁華街の変化の記憶を伝えます。




