その他 蔵の記憶
公開:2026/03/04 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(97)「挽歌」文学碑

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2014.9.15

 釧路市民のシンボル幣舞橋と釧路の中心市街地が一望できる幣舞公園に、きれいな赤御影石の「挽歌」の文学碑が、平成10年9月26日に建立されました。原田康子作「挽歌」は、昭和31年釧路の同人誌「北海文学」に発表され、後に東都書房から出版され空前のベストセラーとなり、昭和34年に映画化されて「挽歌」ブームが起きました。

幣舞公園に設置された「挽歌」の文学碑

 「挽歌」が釧路の社会文化の発展に与えた影響の大きさは計り知れないものがあると碑に刻まれています。映画では霧の釧路湿原、濃霧に包まれた幣舞橋などロケ地釧路の街並みが全国に紹介され、幻想的な霧の街釧路のイメージが誕生しています。

 「挽歌」の撮影は、主演の久我美子、石浜朗らが来釧して、日赤の坂(後に挽歌坂と呼ばれた)、幣舞橋、幣舞橋北橋詰のビル、南大通の喫茶店など市内各所で行われ、多くの市民がロケを見ようと殺到した様子を思い出します。戦後復興で活況する釧路を支えた幣舞橋ですが、映画「挽歌」で写された幣舞橋にはロマンを感じさせます。

 「挽歌」が誕生した昭和31年の経済白書で「もはや戦後ではない」と発表され、昭和30年代の釧路では、日本の5大水産会社が進出、本州製紙の操業、石炭の増産により急成長を遂げ、街は活気があふれていました。

 幣舞橋は、高度成長期を迎えようとした時代の釧路に、夜霧の幻想、夏雲に映える姿、秋の夕日、酷寒の姿と四季を通じて釧路の風土を表現し、映画「挽歌」により幣舞橋に釧路の文学の記憶が受け継がれました。

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