伝えたい「蔵」の記憶(385)丹頂172羽を確認
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2021.8.2
丹頂鶴は、清楚な体色と気品のある体つきにより古くから神聖視され瑞鳥(めでたい鳥)と言われ、アイヌの人々にはサルルン・カムイ(湿原の神様)と呼ばれ尊ばれてきました。江戸時代には北海道各地に生息し、冬には本州へ渡るものもいて江戸付近にも見られ絵画に描かれています。
明治になり北海道の開拓が進められて絶滅したと思われていましたが、大正13年鶴居村キラコタン岬付近の湿原で10数羽の丹頂鶴が発見されました。この発見は、丹頂鶴の保護へとつながり、昭和10年には国の天然記念物、同27年には特別天然記念物となります。

写真は、昭和40年12月4日に実施された、阿寒地方を中心に道東管内小中学生2771人の協力による、丹頂鶴一斉調査結果を報道する同40年12月16日付の釧路新聞です。「172羽を確認・丹頂鶴昨年より18羽増加」と昨年より丹頂鶴が増加した喜びが伝わる報道です。
丹頂鶴の生息数は、大正13年の10数羽が発見され、特別天然記念物に指定された昭和27年33羽、同40年172羽と増加しますが、自分達の食糧も不足している同25年に丹頂鶴の人工給餌に成功した阿寒町の山崎定次郎さん。同27年の厳寒の雪の中にうずくまる丹頂鶴を見て、農家からトウモロコシを集めて給餌に頑張った幌呂小学校の新井田先生と児童たち。丹頂鶴の観察記録を実践する阿寒中学校の生徒ら。地域の多くの人々の保護活動で支えています。
昭和40年の丹頂鶴172羽の確認は、戦後の混乱期の経済活動優先の中で、「丹頂鶴を救いたい」と行動した人々の記憶を伝えています。




