伝えたい「蔵」の記憶(378)幣舞町の記憶
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2021.5.24
明治時代から幣舞町の名称だった現在の釧路市生涯学習センター周辺は、昭和の地番改正で改めて命名されるが、その理由は、「旧名幣舞町の一部にして本市の中央に位置し高地なるを以て官庁所在地に適す、開拓使の時アイヌ語《ノサウシ》を改命名したる由緒を尊重し幣舞町と称する」と釧路郷土史考に記述されており、「幣舞」はアイヌ語です。
幣舞町は、現在の生涯学習センター前の駐車場東側のところに、釧路他四郡役所庁舎が明治18年開庁し次の年に釧路警察署が設置されます。その後、同41年営林署、同43年土木事務所、同44年公会堂、大正12年市役所、市立病院、同15年警察署と官庁が開設され、公会堂が建てられた前後から幣舞の高台に官庁街が形成されます。
高台の幣舞町は、黎明期の釧路の活況と明治44年の皇太子殿下(後の大正天皇)行啓、大正9年の釧路川、阿寒川の氾濫、昭和初期のマグロの大漁、戦前戦後の混乱、戦後の市勢の拡大、北大通商店街の活況と近代化を見続けていました。しかし、昭和40年の下町黒金町への市庁舎移転を契機に官庁街から変わり始めます。

写真は、手前に明治44年に竣工の公会堂に代わり昭和33年新築の公民館、大正12年に開設し2度の火災を体験した市立病院、同15年に竣工した警察署、同12年に開庁し昭和40年に移転した旧市役所庁舎が並ぶ幣舞町。その後ろに官庁街の中核として昭和40年開庁した市役所、同36年完成の釧路民衆駅、都市改造が進む北大通りと橋北の街並みが見えます。新旧の市役所庁舎が見える昭和41年頃の街並みです。
明治、大正、昭和の市民生活を支えた高台の幣舞町の記憶は、市役所庁舎の移転により新たな記憶が始まります。




