その他 蔵の記憶
公開:2026/03/11 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(314)喫茶りりー

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2019.10.21

 昭和31年の釧路は、サンマの記録的な豊漁により街中が活気に溢れますが、原田康子の挽歌がベストセラーとなり文化にも新しい息吹を感じさせます。「余塵30年」は、「文化団体協議会、書道連盟、柔道連盟などの結成が相次ぎ市民エネルギーは文化面に充実した」と記述し、市民生活に新しい文化の兆しを感じさせます。その中で、新しい文化の香りを求める市民の要望に応えたのが喫茶店りりーです。

りりー店内

 写真は、整頓された店内に電蓄と呼ばれたレコードプレーヤーと丸テーブル、ふっくらとしたイスが見える、昭和ロマンを感じさせるりりーの店内です。昭和10年から同60年までの喫茶りりー50年の軌跡を伝える資料によると、同10年7月北大通り4丁目の現在地で開業、コーヒー1杯の値段15銭。同18年から同20年戦争により中断。同21年5月再開、値段40円。同25年全面的に店舗改築、値段50円。同35年オープンカウンターに改築、値段60円。と戦前戦後の軌跡を伝えています。

 戦後の混乱期に営業再開し、進駐軍が持ち込み、戦後人気のMJBI缶コーヒー時代を経て、昭和27年のレギュラーコーヒー使用、SPレコードからLPと喫茶りりーは釧路のコーヒー文化を支えています。昭和31年8月3日の喫茶りりーの新聞広告は、「創られた味とLP名曲」を謳い、戦前からの老舗の喫茶店として新しい喫茶文化を創造しています

 コーヒーと名曲の喫茶りりーは、おしゃべりを楽しむ女性や商談をするビジネスマンら多くの市民の憩いの場となり、市民生活に活力と文化を育み楽しい記憶を伝える喫茶店です。

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