伝えたい「蔵」の記憶(315)公民館落成
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2019.10.28
「もはや戦後ではない」と昭和31年の経済白書。昭和30年代はじめの釧路は、産業活動の活況、人口急増と急激な躍進を遂げる一方で、同31年原田康子の挽歌のベストセラー以降急激に文化団体の設立が相次ぎ、市民生活に潤いを求める文化への息吹を感じさせます。
市民生活の文化活動を支えたのが、昭和24年6月当時の釧路公会堂を廃して誕生した釧路公民館です。公民館は、戦後の荒廃した社会状況の中で新しい日本を築くための中核として設置が提唱され、地域に根差し生活文化の振興に貢献します。
公民館では、成人学校、婦人学級、市民学級などの各種勉強会から道展、市民展、芸術祭などの教養の向上、健康や社会福祉の増進の講座が企画され、「市民文化の振興に貢献した」と釧路市史に記述されています。

写真は、13万市民の文化の殿堂として昭和33年7月1日開館した近代的な公民館(現幣舞町生涯学習センター駐車場)です。市民の公民館への期待の様子を、さかのぼって同31年10月26日の釧路新聞は、「位置は絶対に橋北へ」「現位置を望む」「無理して移す必要がない」「将来の発展の黒金町」と公民館の位置のアンケートを報道しています。
旧公民館は、明治44年9月4日の皇太子殿下(後大正天皇)行啓の宿舎となった建物です。明治、大正、昭和の市民の文化活動を支え、荒廃した戦後の混乱期には、地域生活に潤いをもたらす文化活動の中核の公民館として親しまれていました。
文化の殿堂公民館落成は、市民文化の夢を広げています。




