伝えたい「蔵」の記憶(284)極山丸船団
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2019.2.25
昭和29年4月1日北海道新聞は、「バンザイに送られ独航船北洋へ出港」の見出しで、満船飾を施して独航船数百隻が漁業基地釧路から出港する光景を報道し、記事の終わりに「これはエイプリル・フール、なーんだと一笑するなかれ。いつの日か釧路港がこうなる希望を持って‥」と当時の北洋サケ・マスの漁業基地への釧路市民の願望を報道しています。

写真は、釧路市民待望の夢が実現して、昭和30年5月1日極星丸船団(2回目以降は極山丸船団)が大漁旗を揚げた独航船30隻を伴い盛大な見送りを受けて北洋のサケ・マス漁へ出漁する光景です。
サケ・マス漁業は、「道東太平洋沖合を漁場とする北緯48度以南サケ・マス流網とはえ縄漁業、小型サケ・マス流網漁業、昭和27年再開した北洋漁場の母船式サケ・マス漁業があり、釧路・根室を基地とする流網漁業と函館を基地とする母船式の二本建でした」(漁業基地・釧路)。
戦後の釧路の漁業は、昭和24年から28年頃はサバの豊漁、同27年北洋サケ・マス漁が再開され、釧路は北洋漁業の基地として、漁業関連の経済効果と漁業基地釧路港の躍進を期待して極山丸船団を誘致し成功します。極星丸船団が出漁した同30年のサケ・マス漁の漁獲量は740満貫と前年の2倍、金額は1.5倍の28億円に達して釧路港は「戦後最高の水揚げを記録した」と釧路港開港百年記念誌(釧路新聞社)に記述されています。
極山丸船団は、昭和40年に基地を函館に移転しますが、漁業基地釧路の活況をサケ・マス漁業が支えた記憶を伝えています。




