その他 蔵の記憶
公開:2026/03/09 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(261)日銀釧路支店誘致

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2018.8.6

 戦後復興が加速する昭和26年12月1日の北海道新聞が、「明年8月には完成、日銀支店工事順調に進む」と、地下1階、地上2階延べ面積1千坪、釧路の戦後初の本格的な建築の日銀釧路支店工事の進捗状況を報道しています。日本銀行釧路支店の誘致は、戦後間もない同23年に当時の釧路商工会議所の理事会で、栗林定四朗会頭が「商工中金、釧路西港、日銀釧路支店」の誘致を提案し実現しました。

 道東地区は、農林、水産、鉱物などの天然資源が豊富で我が国経済を再建するうえで重視され、地区の開発促進と金融の順便化を図ることが要請される中で、地区の強い誘致活動に支えられ、昭和25年5月釧路支店設置を決定した、と開設の経緯を日本銀行釧路支店のホームページに掲載しています。

 戦後復興を支える基幹産業の漁業、石炭、製紙の活況と人口急増、日本銀行釧路支店の開設は、道東の中核都市釧路の発展と、更なる釧路経済の発展を期待させた様です。

 戦災からの復興に取り組む街並みの中に見られた、戦後最初の本格的な建築工事は、活気が溢れる力強い建築工事場と荘厳な建物の完成が、経済人だけでなく多くの釧路市民に戦後の新時代を実感させました。近代的な建物の話題は、店舗だけでなく、住吉町の家族寮、浦見町の独身寮、支店長宅が市民の羨望の話題となり、新しい時代の文化生活を身近に感じさせます。

昭和20年代後半の日本銀行釧路支店

 日本銀行釧路支店は、親柱が被災し戦災の跡が残る幣舞橋南橋詰に完成しますが、戦後復興に取り組み釧路躍進を熱望する釧路市民の活力の記憶です。

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