伝えたい「蔵」の記憶(260)復興釧路の印象
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2018.7.30
戦後復興に取り組む昭和26年の釧路の街並みを紹介する記事が、北海道新聞の昭和26年7月21日に掲載されています。「釧路も戦災を受けて大部分焼けたというが、もうすっかり建物が立ち並び復興が早い」と、独立美術協会会員の阿部文之助が、活況を呈する建設現場のスケッチとともに復興釧路の印象を伝えています。

写真は、幣舞橋北橋詰の北大通り舗装工事の様子です。北大通り西側の戦災を免れた商店街に、かや、ふとんの宣伝をする国松ふとん店。戦災から復興した北大通り東側にも丸三鶴屋の社旗が見えます。商店街に並ぶ可愛いらしいスズラン燈の下で進む舗装工事は力強く、さらなる復興に取り組む活力を感じさせます。
道路改修工事をよく見ますと、機械が無く作業員が木製の道具でコンクリートを処理しています、全ての作業が人力でした。コンクリートミキサーの無い時代の舗装工事は、コンクリート製造、リヤカーによるコンクリートの運搬、流し込んだコンクリートの処理作業が人力で行われ、「短時間で行うスピードが必須の厳しい作業だった」と、この工事を担当した古老が思い出を語っています。
戦後の都市計画により街路の舗装整備が進められた北大通りと南大通りは、明るい街並みとなります。商店街の発展を見ますと、昭和20年の商店数721軒、25年商店数1270軒を数え、「急速に軒数が増加している」と釧路市史に記載されています。
困難を克服して実施された街路の舗装整備と商店街の復活は、釧路復興の早さを印象付けている様です。




