伝えたい「蔵」の記憶(221)被災した丸三鶴屋
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2017.8.7
昭和20年7月14、15両日の釧路空襲は、釧路の中心地市街地の様子を一変させます。写真は、空襲被害時から2カ月くらいの9月頃に撮影された、丸三鶴屋と壊滅した北大通り東側商店街、末広町、栄町の様子です。

写真を見ますと、空襲の激しさ物語るように北大通り東側5丁目に黒く火災延焼の跡が残る丸三鶴屋と土蔵と思われる建物以外、末広町、栄町、川上町、旭町に建物が見えません。古老の記憶によると、空襲の直後景色が一変して、北大通りから久寿里橋、女学校が見えた、と語っていました。
丸三鶴屋は、当時は珍しい鉄筋コンクリート造り、道東初の百貨店として昭和5年開業し、釧路の中心地市街地の中核として近代都市釧路の発展を支えます。しかし、空襲の被災により北大通り東側商店街の金安時計店、ヤマワ陶器店などの多くの老舗や、芝居、映画を楽しんだ末広町の釧路劇場、恵比寿座、ライオン本店、街の酒場などの飲食店、カフェが軒を並べた歓楽街など釧路市民の憩いの街並の総てが焼失、廃墟と化し、丸三鶴屋全館も類焼します。
丸三鶴屋は、被災後直に復旧に取り組み、昭和20年9月店内の焼け跡を整理して営業を再開します。同21年、「荒廃せる店内に於いて物資交換会、或は喫茶部、映画館を設けたるに好評を博し、次第に店内を改装し復旧が進む、なお3階の一部は市の博物館に提供する」と丸三鶴屋50年小史に記載されています。
被災した丸三鶴屋は、戦火と混乱の記憶が続く焦土の街並みの中で休む事も無く新たな発展へと挑戦します。




