その他 蔵の記憶
公開:2026/03/08 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(222)終戦の記憶

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2017.8.14

 明治39年10月3日未開の釧路で感激の開店を果たし、明治、大正、昭和の釧路の商業界をけん引した両角栄治さんの著「落葉」より終戦の記録を見ます。

 「昭和20年8月15日遂に終戦の詔勅を降されここに大東亜戦争は、先に敵側により発表された『ポツダム』共同宣言受諾による吾方の無条件降服にて終幕を告ぐるに到れり」。昭和12年の支那事変以来続いた戦禍からようやく解放されたと終戦を記録しています。

 しかし、昭和20年8月の終戦直後の新聞報道は「いざ苦難乗越えん」「皇恩に感謝試練を克服」「聖慮に應へ奉るの道」など精神的な苦悩と「配給米、物々交換」生活の不安など市民生活の混乱の様子を伝える記事が見られます。混乱の続く中で、8月26日の3年8月ぶりの燈火管制解除の灯りは、市民生活に終戦を実感させています。

 両角栄治さんは、昭和20年の混乱する市民生活と丸三鶴屋の被災に付いて「今吾が国民は、敗戦の屈辱を忍び米軍の管理下にありて冷厳なる監視の下食料欠乏し飢餓身に迫り来るを覚ゆ、インフレ、闇商の跳躍、思想の混乱、道義は地に落ち社会問題続出。丸三鶴屋は、1階だけ辛うじて助かり其の他全焼、従業員は無事」と記録しています。(落葉昭和20年の日記より)

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 被災した丸三鶴屋は、混乱が続く昭和20年9月に営業を再開し戦災復興へ取り組みが始まります。

 復興へは、勤勉、革新、生活改善、道徳堅守などの創業時の精神の実践が必須と両角栄治さんが伝えています。

 終戦の記憶は、混乱する北大通り商店街再生の厳しい記憶です。

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