伝えたい「蔵」の記憶(204)喫茶りりー
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2017.3.20
昭和16年7月8日、戦前支那事変と呼ばれた日中戦争が始まり4周年記念市民大会が開催されます。当時の釧路新聞を見ますと、戦時体制の強化を物語る「大政翼賛会」「隣組」とか、市民生活を支える生活物資配給系統の確立のための「商業組合整備」、寒い戦線へ暖かい銃後の慰問品を送りましょうと丸三鶴屋の「皇軍慰問品売出し」開催など、戦時の急迫を訴える記事が多く見られ、市民生活も戦時体制の影響を受けます。その厳しい戦時の、憩いの場の一つが、喫茶食事の「りりー」でした。

写真は、北大通り4丁目西側の戦前のりりーの店内の様子です。観葉植物に囲まれたテーブルとイス、蓄音機、ピアノ協奏曲のポスター。大正ロマンを感じさせる店内です。開業は昭和10年7月で、同18年戦争により中断しますが同21年5月に再開し現在も釧路市民に愛される釧路で一番古い喫茶店です。
昭和10年頃からコーヒーが一般庶民に浸透したと言われ、大正ロマンの香りを受け継ぐりりーは、ハイカラな洋風の食事と琥珀色の液体の独特な香と味わいのコーヒーと音楽を楽しむ憩いの場でしたが、昭和13年にコーヒー豆輸入制限、同14年は贅沢品として物品税課税。輸入が途絶えるなど受難時代を迎えます。
りりーは、コーヒー豆の確保が困難なため、大豆、ユリ根などを原料とした代用コーヒーを提供していたと云われ、昭和18年まで緊張が増す戦時の中で市民へ憩いの場を提供しています。「りりー」は、北大通り商店街の憩いと文化の記憶です。




