その他 蔵の記憶
公開:2026/03/07 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(195)大履高樓櫛比の北大通り

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2016.12.19

 昭和10年代の釧路市の人口動態を見ると、同元年4万1195人、同5年5万1586人、同10年5万6170人と増加をして同15年6万3180人がピークとなり同20年は5万633人を記録しています。

 戦前の釧路市の人口がピークに近づいた昭和12年、釧路商工会議所が「釧路観光案内」を発刊して道東の首都釧路の魅力を全国に紹介しています。

北大通り5丁目の光景

 写真は、釧路観光案内に掲載された近代的な街並みの北大通り5丁目の光景です。社旗を揚げ、ウインドーショッピングの出来る近代的建築の丸三鶴屋、梶浦時計店、西幣舞の大火を乗り越えた中山茶紙店、高木薬店、三角屋根の小松金物店が並ぶ近代的な街並みは釧路市民の自慢のようです。

 観光案内では「市内交通の中心は、北大通りより幣舞橋を横切り南大通りに至る路線でありまして又商業の中心商店街の中心ともなって居ります。殊に北大通は大履高樓櫛比せる新興街でありまして当市の繁華の中心も亦此所にあります」と北大通りを紹介しています。大きく高い建物が櫛の歯の様に隙間無く軒を並べ賑わう近代的な北大通りは、力強く発展する様子が東海の「怪童」と呼ばれた釧路が誇る中心地市街地のです。

 当時の北大通り商店街は、2丁目ヤマワ陶器店、国松蒲団店。3丁目平和市場、土田呉服店、ハマノ薬局。4丁目松並家具店、金安時計店、丸ト北村呉服。5丁目伊藤商店、石黒金物店。6丁目千秋庵、白川商店、佐藤印舗などが見られます。大洪水と大火の被災を乗り越え、北大通りの繁栄を支えたこれらの商店は、奮闘する先人の思いを記憶して次代へ伝えています。

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