伝えたい「蔵」の記憶(196)昔々の北大通
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2017.1.16
昭和7年の字地番改正により誕生した北大通りは、急速に釧路の中心地市街地として近代的な街並みに変貌します。

写真は、昭和13年4月7日の釧路新聞に「火事で膨らんだ北大通の因縁話、夜な夜な豚群横行」の見出しで25年前(大正4年頃)の北大通りの様子を古老が伝えています。
「今でこそぺーブメントなどと洒落て、雨が降ろうが、ぶざまな長靴など穿かずとても歩ける北大通りも、その昔25年前は道路などと口はばったくて到底いえぬ。まあ乾しあがった沼底でありましょう」と橋北がまだヤチであった頃の様子を伝えています。「ヤチは雨が降らなくても棒を突き刺すと10尺位刺さってしまうので、木の枝を埋めて道路らしく一直線に鳥取迄伸びたのはいいが、埋めた柳が芽を出し街路樹になった」とエピソードを伝えています。
橋北地区は、水不足の為に大正2年と7年、8年の大火を初めとして何回も火事を体験していますが、「当時の景気は今と違ふ景気だから、焼けても焼けても後からどしどし家を建てた。思えば火事が北大通を立派にし、今の様な街並みにしました。ここ10年、見る見る立派さを増し火事が恩人とはおかしい因縁だ」と話し、洪水の被災についても、「今思えば隔世の感です」と逞しく災害に挑戦し悪戦苦闘した記憶を伝えています。
急速に近代化する釧路の街並みに、消える古い街並みの記憶を伝え、将来の発展を願う企画「くしろこうぼうし、二十五年今昔史」が釧路新聞に連載され、変貌する釧路を伝えています。




