その他 蔵の記憶
公開:2026/03/07 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(189)包装紙

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2016.10.24

 昭和初期の釧路は、厳しい不況と凶作により厳しい景況が続きますが、記録的な鮪の豊漁と釧網線全通による後背地の拡大、港湾整備の実施などにより次代の発展にむけて奮闘する青年都市でした。

 昭和初期の西幣舞大通、其の後の北大通の商店の新聞に掲載される広告を見ると、年々大きくダイナミックな広告が多くなり回数も多く、価格、品質、サービスの情報による広告合戦が繰り広げられ、各商店が特徴を訴える競争に奮闘する様子を伝えています。

 商店の特色を訴える販売促進の一つに包装紙があります。釧路で何時頃から使用されたのか分かりませんが、東京の百貨店では大正5年頃包装紙に対する認識が定着したようです。

丸三鶴屋の包装紙

 写真は、丸三鶴屋の包装紙ですが年代は特定できません。包装紙は、顧客へのアピールの為、社会状況、経営方針などをデザインに表現する宣伝媒体の一つです。包装紙のデザインに、カニ、コンブ、サケ、カレイの海産物、丹頂とマリモの天然記念物、馬産王国釧路の馬を使い、漢字とローマ字で屋号を表現しています。釧路の百貨店として、郷土釧路の誇る特産品、観光資源、注目の産業で釧路をアピールしています。

 包装紙は、昭和9年12月の阿寒国立公園指定を祝い、観光客と釧路市民へ丸三鶴屋の経営姿勢を訴えています。同12年の丸三鶴屋の店内案内に、お土産品売場と釧路駅お渡し一時預かり所が設置され観光客対応をしています。

 丸三鶴屋の包装紙は、阿寒国立公園指定への期待と商機に挑戦する経営姿勢の記憶を伝えています。

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