その他 蔵の記憶
公開:2026/03/07 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(186)釧路駅は松浦町

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2016.10.3

 字地番改正の町名は、「由緒と因縁を考査して保存を可とするものは旧名を用ひ然らざるものは新に命名」と字地番改正要旨に記載されています。新に命名した町名は、釧路の発展を願う先人の思いを伝えています。

 現在、北大通14丁目にある釧路駅と付属建物のある当時の湿地は広い範囲が松浦町と命名されます。命名理由は、「今より七拾六年前松浦武四郎は不毛の久寿里場所即ち此町の如き泥炭地たりとも東蝦夷地第一の都会たるべしと絶叫したるは超達見として敬意を表すべきである此の因縁を記念の意味に於いて松浦町と命く」と釧路郷土史考に記載されています。

昭和7年頃の釧路駅

 写真は、乗合バスが見える昭和7年頃の釧路駅です。同7年の釧路は、同6年9月の釧網線全通と新釧路川通水により、鉄道輸送と港を結ぶ道東の中核都市として新しい発展期を迎かえます。

 昭和7年の釧路駅は、乗降客63万1455人、貨物の取り扱い114万1205㌧を記録し、人の交流と物流の中核の役割を果たしています。釧路の玄関の役割を果たす釧路駅が位置する松浦町は、鉄道施設以外は雑草と湿地の未利用地が多く戸数52戸、人口281人でしたが、市街地の拡大によりここ数年で人家が建ち商業地の枢要地区に変貌すると、釧路郷史市考が伝えています。

 その後、釧路発展を支えた鉄道網の拠点釧路駅と幣舞橋を結ぶ北大通商店街を中心とした、新しい時代の釧路の中心地市街地が誕生します。松浦町は、武四郎がこの町は東蝦夷地第一の都会たるべしと絶叫した、由緒と因縁の記憶を伝え、道東の中心都市釧路発展の中枢機能を果たしています。

前「昭和7年 北大通」    次「阿寒国立公園誕生」

TOP