伝えたい「蔵」の記憶(180)郷土釧路「真理の春」
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2016.8.15
昭和7年8月1日市制10周年記念式典が挙行され、8月15日字地番の改正が実施されます。当時の世相は、同6年9月18日柳条湖事件を契機として満州事変が始まり、昭和恐慌の深刻化、東北、北海道の大凶作など厳しい状況が続いています。厳しい景況が続く釧路ですが、鮪の大漁もあり昭和7年の人口は5万1440人を記録して昭和元年に比較して24.8%増加していますが、同7年の世相は明るい兆しは見えませんでした。

写真は昭和8年元日の釧路新聞に掲載された、「五万市民が健康の白血球は新町名の肉体に奔流するよ、郷土釧路『真理の春』」と謳った記事です。
「伸び行く俺たちは市制10周年を迎えて、新しき時代にメイキャップした。おゝ新町名! 俺たち五万大衆の健康な白血球は、新町名五十の肉體に奔流する。肩を組んで躍らう。新町名は、俺たちの『真理の春』だ」と、新町名で迎えた新年の決意を述べています。
字地番改正は、釧路市民の長年の願望で将来の人口20万人を想定して実施され、次代の躍進を新町名に期待をしています。
また、橋北の新興の中心市街地北大通りは、12間幅のメーンストリイトに近代的建物が並び、商業の中心市街地で街の心臓であることを訴え、その末広町はトーキーの常設館、カフエーのネオンの輝きとジンタが流れ、街並は浅草を彷彿させるかのようだと、近代化した中心市街地の景観を紹介しています。閉塞感の漂う時代に実施された北大通り、末広町などの新町名誕生は、近代都市釧路発展を実現させる活力の結集を訴えています。




