伝えたい「蔵」の記憶(179)頓化の字地番改正
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2016.8.8
アイヌ語地名でトンケシと呼ばれ、釧路川河口右岸に広がる砂浜の街並みは、明治初期のニシン漁の名残と鉄道の延伸による雑穀類の受け入れ拠点の様相が見られました。
昭和7年の字名地番改正によって旧頓化には寿町、南浜町、仲浜町が設定され、旧頓化と旧西幣舞の一部に浪花町が設定されました。同年発行の釧路市大日本職業別明細図を見ると、南浜町の海岸に沿って土地倉庫会社、土地起業会社、三井物産などの海陸運送拠点の様相が見られ、魚粕の化製所、魚舎、魚場などの漁業関連施設が南浜町から仲浜町の海岸沿いに見られ、漁師街頓化の街並みの変貌を物語っています。
昭和初期の開拓計画では、海岸線に市営埋立地、陸海連絡埠頭などが検討され、現在に繋がる港湾整備計画が職業別明細図に点線で図示されています。寿町は、明治31年開校の寿尋常高等小学校を中心に街道沿い商店街と住宅が並び街の歴史を伝え、児童の健康を祈る意味で寿町と命名されました。

写真は、明治38年7月8日釧路町大字釧路村字西幣舞51番地に西幣舞布教所が設置され、現在も同じ所在地の浪花町7丁目5番地に在る天理教西幣舞分教会です。浪花町は、旧頓化及び旧西幣舞の一部を包含する字地番改正の記憶です。
浪花町は、地方費道(現在の国道38号)貫通し、多数の営業倉庫と撰穀工場などが並び農産物の集散地区を形成して、将来海陸連絡設備の完成に伴い一大発展しその繁栄を大阪に あやからん事を祈り「浪花町」と命名した。
頓化の新町名は、繁栄と幸せの願いを記憶しています。




