伝えたい「蔵」の記憶(149)雄別鉄道
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2015.11.30
釧路は、鉄道の開通により沿線の開拓と農産物、木材などの集散機能に支えられて急速な発展を続けます。
大正12年1月17日釧路・雄別炭山間44.1㌔㍍の貨客輸送の一般輸送が開始されます。写真は同12年1月20日の釧路新聞の一面に掲載された北海炭砿鉄道株式会社(後の雄別炭鉱㈱)の営業開始広告で、雄別炭山駅構内、釧路積出場の光景と、雄別炭販売、鉄道の一般乗客貨物取扱、発着時刻が掲載されています。
事業に着手して5年を経て営業開始し、石炭の増産と沿線の開拓、鉄道輸送への決意を伝えています。列車の発着時刻を見ると、釧路発、平戸前、舌辛、雄別炭山着で上り、下り各2本で、函館、帯広、根室行きの省線に接続しています。
雄別線の開通は、採掘された石炭の輸送と一般の貨物旅客を取り扱い阿寒地区の開拓を促進し、釧路の後背地として釧路の発展を支えます。阿寒町の大正9年の人口は5884人、鉄道開通後の同14年の人口は1万306人に急増します。鉄道の開通は、将来の釧美線計画(釧路・美幌間)の促進、阿寒国立公園候補地の阿寒湖の中継地としての発展や、雑穀、牛蒡、甜菜の作付面積の増加、山林、石材、硫黄の開発などの可能性を釧路新聞が報道しています。

北海炭砿鉄道㈱は、大正13年3月に三菱鉱業㈱に買収され社名を雄別炭砿鉄道㈱と変更します。戦後は、財閥解体により雄別炭砿㈱と改称し、戦後復興に貢献しますが、昭和45年2月雄別炭砿の閉山により鉄道の歴史が終わります。
雄別鉄道の開業は、停車場の街西幣舞の活況を支える記憶です。




