伝えたい「蔵」の記憶(147)蒲団の西屋
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2015.11.16
釧路の中心市街地の変遷を見ますと、鉄道開通以前は港湾を中心とした真砂町、洲崎町などの橋南地区でしたが、大正2年の根室線の開通、釧路停車場の移転により橋北地区へ市街地が急速に拡大し、大正時代後半の中心市街地は、釧路停車場と幣舞橋の道路沿に銀行、商店、飲店などの店舗が並ぶ西幣舞橋通(現北大通)へ移動の兆しを示しています。

写真は、大正11年8月6日釧路新聞に掲載された蒲団の西屋の広告です。広告は、「釧路の蒲団の相場」のタイトルを掲げて、三河、越後の縞、友禅モス、銘仙などの蒲団生地と秩父縞などの座布団生地が記載され豊富な品揃えと詳細な価格情報が掲載されています。蒲団の事は西屋に任せなさいという自信と活力が感じられ他の商店と差別化した広告です。
蒲団の西屋は、新潟県人の国松太四郎さんが大正8年に真砂町で創業しています。当時では目新しい月賦販売を始め、斬新で大胆な商売を実践しています。西屋は、創業から2年後の同10年西幣舞へ出店します。当時の西幣舞は、市街地の拡大が続き真砂町に本店を置き西幣舞に支店を開設する商店が多く見られ競争が激化をしています。
西幣舞の商況を伝える釧路新聞の記事が釧路市史に掲載されています。「橋を超すとがらり世界が異なって機敏で客をそらさぬ処が見える。商店同志にしたって極端に商売敵という処をさらけ出し、実に鎬(しのぎ)を削る程の競争をやる」西幣舞の商店街の活力を伝える記事です。
蒲団の西屋の広告は、競争激化へ挑戦する活力を伝えています。




