その他 蔵の記憶
公開:2026/03/05 更新:2026/04/23

伝えたい「蔵」の記憶(144)幣舞橋鉄橋進展

2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。

2015.10.19

 三代目幣舞橋は、大正4年6月13日渡橋式が行われ当時の釧路の人口は2万8964人でした。大正3年に第1次世界大戦が始まり、雑穀の輸出、木材の活況により人口が急増し、同9年に区制が施行され、11年8月1日には市制が施行され、人口は4万2673人を記録します。大正11年は、7月17日摂政宮殿下(後昭和天皇)行啓、市制施行と慶事が続き釧路市民は躍進する釧路を実感しています。

 街並みは、人口の増加と大正6年の根室線釧路・厚岸開通、釧路駅の移転(現在地)、同8年の西幣舞の大火を契機とした幣舞橋通りの道路拡幅などにより北進が続き西幣舞の街並みは急速に拡大し、上水道、治水、永久橋建設計画策定など都市の基盤整備が課題でした。

大正11年8月9日の釧路新聞の記事

 写真は、幣舞橋の永久橋への進展を伝える大正11年8月9日の釧路新聞の記事です。「幣舞橋鉄橋進展 林田市長代理急遽出札」。長年釧路市が願望していた幣舞橋の鉄橋改架が、札幌豊平橋竣工が近づいたので来年度より内定、と報道しています。

 当時の釧路の市街地は、真砂町、幣舞町の橋南地区と西幣舞の橋北地区に商店街と繁華街があり橋南と橋北を結ぶ幣舞橋の交通量が多くなり橋の幅員の狭隘が交通障害となり議論をされています。幣舞橋鉄橋進展の報道は、釧路市民に夢と活力を与えています。

 大正12年1月の釧路新聞新年号に、大釧路建設の大旗を挙げて進まんとする時に消極は避けるべき、と市制実施最初の新年の釧路市の指針を報道し、先人の釧路発展の思いを伝えています。

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