伝えたい「蔵」の記憶(131)西幣舞の商魂
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2015.6.8
大正時代の西幣舞の街並みは、大通に商店街、拓殖銀行開設、現在の末広町は繁華街と急速に都市化が進みますが、西幣舞の商人は、度重なる大火、未曾有の洪水、経済不況など苦難を乗り越えています。釧路新聞に掲載された、北大通の老舗ト北村の創業者、北村藤吉小伝が奮闘の様子を伝えています。
北村藤吉さんは、近江商人の伝統を受け継ぐ滋賀県出身で、21歳の時函館の呉服問屋小野商店に奉公します。陰日向なく主人大事と刻苦勉励、人の倍働く模範店員と云われるようになります。活況を呈する釧路にしばしば出張をし、創業の地を釧路に決め、明治39年10月西幣舞1番地(現北大通2丁目西側)古着商を始めます。
明治40年の春は、釧路始まって以来の鰊の大漁で釧路中が活気に満ち、売上も伸びます。明治40年、魚の干場であつた(現北大通4丁目西側)土地を購入店舗を新築し、丸ト北村の基礎が出来ます。大正2年12月の大火で焼失しますが、精力的に再建します。
火災に備え土蔵を新築しますが、土蔵完成目前の大正7年12月25日、西幣舞大火により店舗を焼失します。しかし、完成前の土蔵の商品は焼失を免れ、仮店舗で商売を再開します。大正9年、繊維製品の大暴落により、釧路の老舗が相次いで倒産します。藤吉さんは、東京、函館で情報を得、低価格、福袋、反物の切売りなど臨機応変に対応し、トは安いと評判になり丸ト北村の基盤が強化します。

写真の大正10年頃の土蔵造りの店舗は、西幣舞で創業した北村藤吉さんの商魂を記憶しています。




