伝えたい「蔵」の記憶(116)レンガ倉庫
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2015.2.23
釧路鉄道の開通と延伸により、港湾機能と鉄道が結ばれた開拓期の釧路は、東北海道の開拓拠点の役割を果たし、沿線へ入植する開拓移民基地として、沿線の木材、十勝の雑穀の輸送基地として、活況を呈します。
明治40年ごろの釧路停車場のある西幣舞は、新しい時代の息吹を感じさせる街並みが急速に拡大します。当時の街並みの記憶を伝えているのが、浪花町5丁目界隈に残っているレンガ倉庫群です。

写真のレンガ倉庫は、明治39年に中川倉庫合資会社が、近代的なレンガを使用して建築しました、街角の百年には、「おそらく釧路で最初の営業倉庫のようです」と記述されています。
中川倉庫合資会社の社長は、佐賀県出身の中川熊三郎という人で、老舗の呉服商中川久平氏の二男ですが、明治39年中川倉庫合資会社を設立した釧路の少壮実業家の一人です。鉄道と釧路港の機能を結ぶ施設が倉庫ですから、倉庫業の創業は当時としては先進的な試みですが、鉄道輸送の時代に対応して創業をしています。
明治39年鉄道が帯広に達しそれまでは釧路町付近の貨物の取り扱いでしたが、たちまち十勝圏を勢力圏にし、それまで十勝国大津港が扱っていた農産物は全て鉄道によって釧路より積み出されるようになり、生産が増加する木材も同様です。一方十勝で必要とする貨物のほどんとが釧路港より入る(明治45年6月釧路新聞10周年記念記事より)と記述されています。レンガ倉庫は、鉄道と釧路港への貨物の中継機能を果たし、西幣舞の街並みのシンボルとなります。




