HEAT VOICEミュージックヒストリー⑪ヒートボイス伊藤のソロ挑戦
釧路を拠点とするボーカルデュオのヒートボイス(目黒広幸、伊藤カズヒロ)は1995年の結成当初から、「釧路から世界へ」を掲げた音楽活動を展開してきた。
ライブ活動や楽曲制作、さらに、音楽を通じたまちづくりにも参加。特に、プロ、アマを問わず楽曲を出品しグランプリを競う「軽井沢ラヴソング・アウォード(同実行委主催)」では、2004年から2007年まで4年連続での本選出場した。
前人未踏の偉業として残るこの記録と記憶は、地方で生まれた音楽を全国へ発信する新機軸となった。
釧路にいながらプロを目指す
ヒートボイスはデビュー10年で内を固めて、打って出て成果を挙げた。
必然、中央の業界関係者も関心を示し始めた。
「上京間近か!」と勘ぐる声もあったが、本人たちは軽々とは乗らなかった。
目黒さんは釧路コールマイン、伊藤さんはシノハラ園芸で、それぞれ働きながらの音楽活動を続ける姿勢は揺るがない。むしろ、秘中にしてきた次の一手を指した。「釧路にあって、ヒートボイスを続けながら、プロのシンガー・ソングライターになる」。伊藤さんの挑戦が本格的に始まった。
軽井沢ラヴソング・アウォード2007を終え、「今回を最後」と出場に終止符を打った矢先、伊藤さんは、釧路市出身の音楽プロデューサーのマーティン・ミシナ氏(三品正範氏)と出会った。
「釧路から全国へ音楽を発信したい」という思いを共有し、H.V ITO(ヒートボイス伊藤)としてソロ活動のスタートを切った。2008年2月、自身初のミニアルバム「紙ひこうき」をリリースする。

全国への足がかりをつかむ
全国発信の流れをさらに強固にするべく、2009年春、タレントマネジメントなどを手掛けるモリング(本社東京都、森有生代表取締役)と伊藤カズヒロがプロ契約を結び、首都圏での足がかりを築いた。
同年秋には、大手レコード会社エイベックスとTSUTAYAによる新人歌手発掘オーディション「MUSIC BURGER(ミュージックバーガー)」に挑み、北海道・東北ブロックを1位で突破、全国切符を獲得した。
釧路新聞社の取材に対し「仕事をしながらでも夢を見続けることができるということを示したい。てっぺんを狙う」と意欲を示した。

同オーディションの最終選考は2010年3月12日に東京都で行われ、12組が出場。グランプリ受賞の副賞として、CDデビューと全国プロモーションが確約されていた。
全国の約2000組の中から本選に駒を進めた伊藤さんは、オリジナル曲「snow…」を熱唱。審査員からの質問では、釧路色を前面に押し出して自己アピールし、「司会者からマイクを奪って、水谷豊のものまねをした」という。
惜しくもグランプリ獲得は逃したが、エイベックスが楽曲と作曲を高く評価し、アーティストへの楽曲提供候補となった。
数年後、道が開ける。


相方が見ていたソロへの挑戦
ところで、31年間、ヒートボイスで右側に立つ目黒さんに、伊藤さんのソロ活動、プロ契約について聞いた。
「これまで、質問されたことはなかったな」と不意を突かれた様子だったが「それはそれで応援していた。かえって、売れてくれたらいいと思っていた」と笑った。
さらに「忙しかったはずだが、むしろパワフルだったよね」と水を向けると、横で聞いていた伊藤さんは「森さんは契約時、職場のシノハラ園芸と目黒さんに迷惑を掛けないことを条件として提示してきた。自分自身の挑戦のためには当然だと、今も思っている」とうなずいた。
二つの活動は「イコール」
閑話休題。
ヒートボイスとソロ活動を両立させてきた伊藤さん。
ソロ活動を始めた当初も、ミュージックバーガーで最終選考まで残った当時も、釧路新聞の取材に「ヒートボイスもソロとしての活動も自分にとってはイコール」と応じた。
18年の時を経て、改めて、同じ問い掛けをすると「ヒートボイスがある、釧路があるからこそのソロでの挑戦」と語った。
予想通りの返答だが、中身は違う。
言うは易し行うは難し。ヒートボイスとソロ、2つの車輪は時間をかけて大きな輪となり、勢いよく回転する。
思いがけない方向へも、滑らかにドリフトしている。
(編集部:山本雅之)
次回は10月10日に掲載の予定です




