伝えたい「蔵」の記憶(448)躍進紙パルプ
2012年から釧路新聞・文化欄で連載された木村浩章さんの「伝えたい「蔵」の記憶」を全回数分デジタル掲載します。屋号などの特殊文字については仮名表記に修正。見出し、本文、写真につきましては掲載当時のままとさせていただきます。
2023.5.22
釧路は、「さかな」「石炭」「紙・パルプ」を基幹産業として活力ある道東の中核都市として躍進を続けています。昭和40年代の基幹産業は、同44年ライバルの八戸を抜き悲願の「水揚げ日本一」を達成した漁業、同45年国の石炭政策に対応して機構改革し、太平洋炭砿を唯一のビルト鉱として限りなき未来に挑戦する石炭、増産にまい進する紙パルプ─と活況が街の活力を生み出しています。

写真は、昭和46年頃の増産に取り組む本州製紙釧路工場です。釧路の紙パルプは、明治34年北海道で最初の紙パルプの工場である前田製紙の操業に始まり、その後富士製紙、王子製紙、十条製紙と名称が変わりますが、紙パルプは釧路の基幹産業として釧路の発展を支え続けます。昭和34年には東洋一といわれるダンボール生産の本州製紙釧路工場が大楽毛に誕生し釧路の紙パルプの活況を支え、大楽毛に新しい街並みも誕生します。
昭和44年の釧路市の製造品出荷額統計を見ると、食料品46.5%、紙パルプ37.8%と基幹産業の紙パルプは釧路市の生産活動に大きな役割を果たし、同41年の十条製紙の新聞用紙は「国内生産の20%を占める」(釧路叢書・釧路の製紙)と記述されています。同40年の釧路の紙パルプの生産量は43万2904㌧ですが、同45年には73万7888㌧(釧路の製紙)と1.7倍の生産量を記録し紙パルプ生産の発展を伝えています。
紙パルプの躍進は、チップ専用船、新聞巻取紙、ダンボール原紙の積み込みなどで釧路港の活況も支え、さらに鳥取、大楽毛の街並みと市民生活の豊かさを伝える記憶です。




